
日光街道は「五街道」のひとつです。
五街道は、東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の総称です。
徳川家康が1601(慶長6)年からおよそ7年かかって整備した日本の幹線道路(主要街道)で、江戸幕府の道中奉行が管轄していました。
いずれも江戸・日本橋が起点で、特に江戸と京都を結ぶ表通りの東海道と、裏通りの中山道が重要視されました。
日光街道の概要
日光街道の特徴やその歴史沿革を簡単にみてみましょう。
古道奥州道をバージョンアップ
日光街道は、江戸日本橋から日光坊中(東照宮:現在の栃木県日光市山内)に至る総延長約140kmの街道です。
日本橋から宇都宮宿までの道程は奥州街道と共通(17宿)で、日光終点までの以北4宿を併せて21次の宿場行程となります。
その宇都宮までの道程にはもともと古道奥州道と呼ばれた街道で、江戸時代に造営された日光街道は言わば古道奥州道のバージョンアップ版とも言えます。
尚、日光街道という呼称は、現在の国道4号線(宇都宮市以南)と、国道119号線の通称(東京都の公用通称)として使用されていますが、この五街道の本家についてはそれと区別するために旧日光街道と表現することも多くなっています。
東照宮参詣のための街道と言われるが…
日光街道は、今でこそ終点の東照大権現(徳川家康)の祀られる日光東照宮参詣のための街道とも言われますが、そもそも五街道の骨子を作ったのはその家康本人で、合理的精神の塊のような彼が、まさか自身没後の菩提参詣のみを目的とする街道を造営したとはちょっと考えにくいところです。ただ、家康の遺言(金地院崇伝の日記による)には、死後に自身を日光へ神として祀るよう指示が述べられており、政治的気配りはあったかと思われます。
以上のことからも、日光街道造営の当初の目的は、奥州街道との併用物流路としての役割がやはりもっとも大きかったと思われ、また宇都宮を拠点とした東国制御の思惑も兼ねていたと推測されます。
道程も難所が少なく観光には人気
概して日光街道は、五街道の中でも宿場間の距離が短く、平坦路が多いことが特徴です。
行程が比較的楽で、また将軍参詣路であったものの公用だけでなく庶民の私的観光にも利用できたため人気は高かったそうです(東照宮の参拝も庶民に許されていた)。

日光街道のみどころは、言うまでもなく日光東照宮ですが、徳次郎(とくじら)宿付近からの街道杉並木から既にその風情を楽しめます。
五街道の中でももっとも初心者向けの街道徒歩巡りが楽しめるルートです。
日光街道 全体マップ・宿場一覧
宿場周辺は、各街道の特に重要なポイントで、今なお多くの歴史の跡を感じることができる場所です。
皆さんも宿場の近くを訪れることがあったら、是非この記事や付随する記事を簡易マニュアルとして活用し、歴史漫遊を楽しんでください。
日光街道は、現在の東京都・埼玉県・茨城県・栃木県のコースです。
全体マップ
各宿場のポイント(ピン)には、可能な限りその宿場の本陣や脇本陣(跡)を選ぶようにしましたが、見つからない場合は他の宿場のランドマークに替えて選んでいます。
宿場一覧
日本橋(東京都)から日光東照宮(栃木県)までの間に21の宿場が設けられ、各宿場には明確な目的を持った様々な施設が用意されていました。
以下の一覧には、番号・宿場名・現在の所在地・その他の情報などを表記しています。
- 千住(せんじゅ)東京都足立区
ここから宇都宮まで奥州街道と共通。 - 草加(そうか)埼玉県草加市
- 越ケ谷(こしがや)埼玉県越谷市
- 粕壁(かすかべ)埼玉県春日部市
- 杉戸(すぎと)埼玉県北葛飾郡
- 幸手(さって)埼玉県幸手市)
- 栗橋(くりはし)埼玉県久喜市
- 中田(なかだ)茨城県古河市
- 古河(こが)茨城県古河市
- 野木(のぎ)栃木県下都賀郡
- 間々田(ままだ)栃木県小山市
- 小山(おやま)栃木県小山市
壬生通り・結城道・佐野道・栃木道と結ぶ。 - 新田(しんでん)栃木県小山市
- 小金井(こがねい)栃木県下野市
- 石橋(いしばし)栃木県下野市
- 雀宮(すずめのみや)栃木県宇都宮市
- 宇都宮(うつのみや)栃木県宇都宮市
壬生道・大谷道と結ぶ。 - 徳次郎(とくじら)栃木県宇都宮市
- 大沢(おおさわ)栃木県日光市
- 今市(いまいち)栃木県日光市
壬生道・会津西街道・日光北街道などが集まる交通の要衝。 - 針石(はついし)栃木県日光市
まとめ
この記事では、五街道のひとつである日光街道についての概要や、その特徴についてまとめてみました。
尚、更に掘り下げて、ここに挙げてある各宿場などの記事もおいおい投稿していきたいと思っていますので、ご参照ください。
下記は、日光街道以外の「五街道」をそれぞれまとめた記事です。
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