宝龍山〈寶龍山〉 延命寺(愛知県大府市) Horyusan Enmeiji Temple
- 知多四国八十八ヶ所霊場 4番札所
The 4th temple, Chita-Shikoku 88 Reijo (88 Stage on the Chita-Shikoku Pilgrimage)
寺院概要
名 称 | 宝龍山〈寶龍山〉 延命寺(ほうりゅうざん えんめいじ) Horyusan Enmeiji Temple |
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所在地 | 〒474-0023 愛知県大府市大東町1丁目279 1-279 Daitocho, Obu-shi, Aichi-ken 474-0023 Japan |
TEL | 0562-46-0544 |
WEB | Website YouTube |
宗旨・沿革など
宗 派 | 天台宗 |
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本 尊 | 延命地蔵菩薩 |
開 山 | 盛祐上人 |
開 基 | 不詳 |
創 建 | 平安時代(鎌倉時代) |
ご真言 | おん かかかび さんまえい そわか |
ご詠歌 | 心して 詣れ其の名も 延命寺 地蔵の利益 疑ひもなし |
その他 | 行事:大般若特別祈祷会・大般若経600巻写経会・一般参加型 写経会・名月会 |
アクセス
〒474-0023 愛知県大府市大東町1丁目279
- 駐車場:山門前
- 最寄駅:JR東海道本線・武豊線 大府駅
詳細・参拝
三番を出て境川右岸の田園風景を過ぎると、弘法道は大府市街地へと入ってゆく。四番延命寺があるのは、市街地の入口といえる場所。界隈はかつて農村集落だったが、宅地化が進み現在は周囲を住宅に囲まれている。江戸時代に建造され、昭和六十一年に改修された文殊楼門をくぐり、境内へと入る。
鎌倉時代、盛祐上人によって創建された延命寺は、当時は七堂伽藍を備えていたという。応仁の乱のころに焼失したが、比叡山延暦寺横川学頭の慶済法印が再興し、天文二年(一五三三)、後奈良天皇から「賓龍山」の勅額を下賜されている。同じく比叡山からの二世仙慶を経て、緒川城主水野家出身の三世真慶が、水野家より寺領の寄進を受けて寺の基盤を整えた。天正十一年(一五人三)には、横根城主梶川五左衛門から田畑の寄進、さらに江戸時代には尾張藩から二十石余の黒印の安堵を受けている。また、江戸時代には九ケ郷四十五村の神社の遷宮導師を勤めた。
絵画、彫刻、典籍も数多く伝えられており、「賓龍山」の勅額や、縦七九・二センチ、横三六・三センチの 「刺繍普賢菩薩」など、さまざまな寺宝を有している。南北朝時代に五年がかりで製作された「紙本墨書大般若経」六百巻は、読経には一ケ月を要するとされるもの。これを一日で転読する「大般若転読祈祷会」が、毎年一月十五日に行なわれる。
「知多四国巡礼」歴遊舎
訪問:2019/08/14
南無大師遍照金剛…。
知多四国八十八箇所霊場
知多四国八十八箇所霊場(ちたしこくはちじゅうはちかしょれいじょう)は、愛知県の知多半島にある88ヶ所の弘法大師(空海)ゆかりの札所の総称です。「(知多)新・四国八十八箇所霊場」と呼ばれることもあります。
弘法大師(空海)は、東国巡錫の途中に知多半島に上陸(現在の南知多市聖崎)し、医王寺で七日間、岩屋で百日間の護摩行を勤められたと言います。
その後1809年(文化6年)に、尾張国古見村の妙楽寺住職「亮山阿闍梨(1722~1847)」が弘法大師の夢告によって発願。三度四国に巡拝を重ね、福住村の農家「岡戸半蔵」と、讃岐生まれで水戸藩出仕の武士「武田安兵衛」の献身的な協力を得て、十余年をかけて知多四国霊場を開創したとされています。
現在は、88箇所に加え、開山所の3箇所と番外霊場7箇所の合計98箇所を巡礼するようになっています。
小豆島八十八箇所、篠栗四国八十八箇所と共に、「日本三大新四国霊場」に数えられることもあります。
詳細は下の記事をご覧ください。




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